E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

「新しい日本の歴史」はやっぱしあかんかった(85)

 夏に始めたこの連載もようやっと終わりである。わしには連載ブログを書くんが向いてるみたいなんで、丁度エエネタにはなってはくれたが、教科書批判をいつもの通りエエ加減な姿勢で書く訳にもいかんので、それなりに気ィ使いながら書いて来た。一回だけ暴走してしもて表示されんかったこともあるが。




 このシリーズを書いてて一番に思うたんは、教科書とそれに準拠した解説書や資料集の類の両方を充実させんでは、独学で中学の歴史の勉強がなかなかでけんなちゅうことである。教科書の紙数では分かりやすく書けんとこを、そうした副読本で補ってやらんとあかん。




 独学ができることについてこだわる理由はいくつかある。それは、教師がおらんでも勉強でける教材があれば、そんでのうても多忙な教師の負担を減すことがでける訳やし、それによって、独学では勉強にならん生徒への指導がでけるようになることがまず挙げられる。不登校の問題もある程度緩和されるやろうし、経済的に塾や予備校に通えん生徒のためにもなる。




 それに、読んでおもんない教科書はあかん。おもんない教科書では何度も読んでくれんのが現実やからや。教材ちゅうもんは、カシコとアホの双方を考えたんでなかったらあかんねや。高校の世界史や日本史の勉強を始める前に再度読んでもらえるような教科書を目指すべきやろう。




 これで、「新しい日本の歴史」批判はひとまず終わりにするが、この欠陥教科書には「新しいみんなの公民」ちゅう姉妹品があるんやないか。公民は社会科学なんで人文科学の歴史とは少々勝手が違うし、わしに正当な批判がでけるんかどうか疑問に思える。せやけど、「歴史」の方でもシロートのわしでもツッコミ倒せる有様やったんで、「公民」にしたところで恐らくはそうやないかて想像でける。そこで、次回連載予定として、




(仮題)「新しいみんなの公民」もあかんかった




を掲げることにする。連載開始時期は未定やけど、「歴史」は教科書を読みながら書き進めとったんで、次回もそのスタイルで行く可能性もあるし、あかんとこをいっこも指摘でけんで企画倒れに終わる可能性もある。(しまい)