E-BOMBERのアホアホブログ

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「新しい日本の歴史」はやっぱしあかんかった(65)

 日本の歴史は、「戦禍」ちゅう単なる戦争の属性を論うためにあるんとは違う。分かりやすう言うたらやな、「恐慌」とか「敗戦」とか「原発事故」とかの惨禍を防ぐためにあるんや思うで。何でや言うたら、戦争の残虐性をナンボ声高に叫んだかて、戦争をなくすことでけんからやんけ。




 日本には「戦術」はあれども「戦略」はなし、て断ぜざるを得ん。明治期には、陸軍に田村怡与造や児玉源太郎があり、海軍には秋山真之があった。しかし彼らは優秀な戦術家ではあったやろうが、戦略家であったかどうかは議論あって然るべきやろう。戦術は戦場その場でめぐらすモンであって、戦略は最短でも1年単位の中長期的なモンである。せやから、F1の中継見とって、レースの戦略(strategy)やなんてセリフ聞いたら苦笑せざるを得んのよ。それを言うなら戦略とちごて「戦術(tactics)」やろが。「数年後にコンストラクターズタイトルを取りに行く」とかが戦略やんけ。




 クラウゼヴィッツによると、戦争は政治の一形態やねんさかい、戦争の主体は軍隊やなしに政府でなかったらあかん。軍人の政治不関与のルールはそのためにあんねんやんけ。ところが、児島襄の説によれば、日本はこれに「政治家の軍事不関与」ちゅういらんおまけをつけてしもた挙句、軍人を政治に参加さしてしもて、しまいには無条件降伏に至ったとある。こないした考察が一個も出て来ェへん歴史教科書て何やねん。




 仏印進駐・援蒋ルート遮断にせよ、インド独立促進策にせよ、どれも行き当たりばったりの戦術であって、戦略やなんて言える代物やナイ。どれにしたとこで日本の対外孤立を深める効果しかあらへんかった訳やし、その選択そのものが大失敗やった。昔の人は現代人の批判を「それは今だから言えること」て抑えにかかりたがるが、当時の日本政府も軍部もベストには程遠い選択をしたことは冷徹に評価されるべきやろう。昔に失敗した人の立場を慮って当たり障りのナイことばっかし吐かしとったら、次の戦争にも負けるやろうし、どこぞの原発炉心溶融事故起こすぞ。




 「大東亜共栄圏」ちゅうのんは、ここに書いたある通り後付けの理屈であって、ホンネは南方の資源欲しさであることを匂わしてることは一応は評価でける。せやけど、民族対立もあってビルマミャンマー)の混乱が今でも続いてることをもっとはっきり書かんようでは公平な教科書の記述とは言えんのではなかろうか。中国や韓国なんぞとちごて、どこの国に出しても恥ずかしない教科書を作ってこそ、日本は世界に誇れる国になれるんである。(つづく)