E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

読み手も書き手もあかんようなって新聞は無用になりつつある(4)

 新聞が読まれんようなったんは、ニワトリが先かタマゴが先かではないけど、日本国民の国語力の低下と、新聞記事のおもんなさとが相俟ってのこっちゃろうと思う。おまけに、新聞紙はかさばって、古紙回収に出すんも一仕事やし、産経みたいにみな電子化が進めば楽やねんけどのう。


 読み手をどないかすんのは国や自治体の仕事やさかい、新聞社が書き手をどないやって育てるかに絞って書き進めることにしよか。


(「特落ち」を恐れる編集局長は降格させよ)

 各紙挙って特ダネにしてるのに、1紙だけ記事にしそこなう「特落ち」を、どこの編集局長も怖がっとる印象がある。実は、これが新聞社がおのれ自身の首を絞める行為であることやのに、社自身が気づいとらんのである。せやけど、例えばの、「海老蔵が酔うて暴れてケガしたやのさしたやの」やなんて、さっきの「や○きの委員会」で三宅のジジイ(毎日OB)も言うとったけど、「あんなん不良が泥酔して暴れただけ」のこっちゃんけ。わしが社会部長やったら、「こんなん1段記事でたくさんやで。あとは海老蔵の角枠顔写真でも貼っつけとけ」やで。読売みたいに、社会部の比重が他紙より大きいとこではそうはいかんかもしれんが、政治部・経済部を看板に掲げて、昔ながらの純粋な言論報道機関に徹するんやったらこんなんかてアリやで。新聞が総合情報メディアになろうとしても、ネットやケータイには勝てんやろうから、言論と報道を重点化した方が生き残れるのと違うかと思うねんけどでや?

 言論報道機関に特化したとき、当然にその記者らの書こうとする記事のクォリティ向上が不可欠やけど、「特落ち」を恐れるようなマイナス思考では、粗製濫造的な記事しか出来あがらんわい。記者にはそれぞれ得意な分野を与えて、他紙が海老蔵に群がってんのんを尻目に、おのれの総力を傾注して質の高い記事文を作成してくれい。

 新聞社の人事局長は、社内序列では編集局長(多くはヒラ取兼務)よりも下かもしれんが、編集局長がそんなテイタラクやったら、更迭を上に進言した方が社のためやで。いっそクビにせえと言いたいが、新聞社、就中朝日や毎日は、社全体が労組みたいな体質になっとるんで、社長も社主も、局長を馘首する度胸はあらへんやろう。それやったら、局長待遇に横滑りさすか、できれば局次長待遇以下に左遷さすかぐらいはできやんとあかん。間違うても役員待遇なんかにするようでは、その新聞社には未来はナイ。


(学芸部・校閲部の充実)

 学芸部はどこの新聞社でも、政治・経済・社会部よりも低く遇されがちやけど、社のステータスを担いうる重要な部署やちゅう意識がどこの社でも低いんと違うかて印象が拭い去れんのだ。歴史に弱い記者連中は日々増殖しとるやろうし、中国の古典について記事を書こうモンなら、大学やら博物館やらにジャカスカ電話かけまくって、必死のパッチで原稿埋めてる作業が目ェに浮かぶわい。

 学芸部がこんなありさまでは、学芸欄にヨタ記事が並ぶばかりか、新聞社が文化人を顕彰する目的で設けた賞の軽重が問われることにもなって、社全体のイメージダウンも避けられへんやろう。殊に、この部署には、若手のトロッコを一人前の記者に育てるための社員教育の第一の責任部署としての活動も期待される。支局・通信局勤務で先輩記者にくっついて回ってるだけで、記者に必要な素養なんか身に付くんかいな?

 校閲部ちゅうたら、編集局では整理部・調査部なんかと並んで引込線的な部署で、バリバリの社員が配属されることはまああんましナイやろう。せやけど、ここが新聞が紙面で赤っ恥を晒すか晒さんかの最後の砦である。校閲の「校」は「AはAであること」を確認し、「閲」とは、「AはBでないこと」を指摘して正すことを言う。要するに「校」やったら目に一丁字もあらへんアホでもでけるが、「閲」は一定の知識的背景がなかったらでけんのだ。もしか、今の日本の新聞社には「校はあれども閲はなし」の校閲部しかあらへんのと違うかのう?ほいでから、ここにも、社員教育の重要な仕事の一部を任せたい。


(電子化)上でも少し触れたが、新聞は読み終わればただの紙である。第1次石油危機ん時、トイレットペーパーが店から消えたことがあったけど、あん時からこっち、古新聞ほぐして便所紙にしてる人なんかおんのやろか?便所行って紙なかったらわしかてそないするけどのう。

 とまれ、扱いが面倒な媒体は消えゆく運命にある。駅の立ち売りと、一部の高齢者を除けて、新聞の電子媒体化は避けられまい。大規模な工場やら新聞販売店の存在かて新聞社の経営の足枷になっとんねんから、キオスクとかに「カラーレーザ新聞プリンタ」設えて、その場で印刷でけるようにするとかやな‥‥‥現状では実施のために乗り越えやなあかん技術課題がようさんありそうやな。

 電子化が達成されてるんが産経だけで、毎日ではまだダイジェスト版しか読めんような有様では、危機感が足りんとしか言いようがあらへん。技術的な問題があるのは承知しとるが、紙だけではあと10年と保つまいて。


 恐らく、新聞社には、ここまでわしが書いたことの何倍もの分量の問題が山積しとるやろう。ついこの前まで、サラ金消費者金融)の広告を平気で載しとったんが新聞の正体でもあるし、求人欄に悪徳企業が名を連ねておっても新聞社には一切の責任があらへんのだ。企業年金制度の段階的廃止とかも目にしたし、新聞を取り巻く環境は日に日に厳しさを増しとるやろう。せやけど、言論と報道をテレビなどだけに任してエエのかて問われたら、即座に「エエ」とは返答でけん。ネットやケータイの世界は玉石混淆やし、新聞にはやはり言論・報道の世界をリードしてもらわんと、結局困るんはわしら一般人やねんからの。(しまい)