E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

読み手も書き手もあかんようなって新聞は無用になりつつある(1)

 わしは新聞の熱心な読者とは違う。せやから、今月12日の「や○きのそこまで言って委員会」で新聞のことやっとったからちゅうて、それについてすぐにレスポンス返せなんだ。せやけども、マスコミちゅうとこは「大衆迎合」「偏向」「煽動」の問題あるちゅうぐらいやったらまあしゃあないかと諦められるけど、時に視聴者・聴取者・読者に詐術を弄する危険性のある「第四の権力」やねんから、その現状や動向に無関心ではおれん。


 世間では年配者を中心に新聞社はそれなりに上目遣いに見られとるみたいやけど、果たしてそんだけのモンなんけ?まず、時折読者から、記事に関することや、場合によっては記事とは無関係な質問の来ることがあるらしい。記事に関する事柄やったら、一定の範囲内のことなら、記者に回答する義務があってしかるべきやろうとは思う。読者を蔑ろにしたらあかんからな。せやけども、記事とは無関係なことまで聞かれたかて必ず回答が得られると思い込んでる「読者」がどうもおるみたいなんやな。「天下の××新聞なんだろ?ちゃんと回答しろよ」ちゅう具合にの。


 これは別に「読者」の側がムチャ振りするからあかんやなんて言うつもりは毛頭あらへん。たしかに新聞社ちゅうとこは、過去の記事なんかを保存する必要がある要請からデータベースが発達しとるし、世間から「知の蓄積のある処」と錯覚される要素がようさんある。


 でもな、昔から「東大で一番デキの悪いのんがブン屋になる」て言われててな、その証拠はひとり渡邉恒雄主筆を挙げたら十分やろう。これは「読売」だけやなしに他紙でもせや。ナンボ素晴らしいデータベース持っとっても、それを運用するんがアホやったらどないもならん。


 ほんでからの、「朝日」ちゅうとこは在野精神を気取っとるけど、その実権威主義のかたまりやちゅうことは指摘しとかんとあかんやろうな。「朝日賞」は文化勲章カーボンコピーやし、「大佛次郎賞」かて、辻邦生が自らが選考委員であることを理由に受賞を辞退せなんだら、今もって「お手盛り賞」の謗りを受け続けておってもおかしないやろう。だいたい文化勲章ちゅうのは「文化ボス」とのコネがなかったら受章でけんモンなことは周知のこっちゃし、文化勲章受章者以外の優れた業績を挙げた人物に授賞してこそ、在野精神の発露やないんかアホンダラボケカス。日亜の中村さん(現UCSB教授)の朝日賞受賞は妥当やとは思うが。


 せやけど、もっとあかんのんは、過去に新聞社がしでかしたえげつないことをしらん読者が多いこっちゃろう。ほぼ例外なしに、どこの新聞社も、日本の全体主義軍国主義化やら第二次大戦参戦に加担しとったんやど。過去の新聞の縮刷版読んでみたらようわかる。新聞は、歴史事実を歪曲するんにも一役買うことかてある。城山三郎の「鼠」を読んだら、「大阪朝日」が後藤新平憎さの余り、その一味と目された神戸の「鈴木商店」を「米騒動」の元兇て決めつけたことが、後世の米騒動研究に悪影響齎したことがわかる。後に鈴木が無関係と判明するが、大阪朝日は「鈴木は瓜田の沓・李下の冠」やなんて遁辞をつこて誤魔化しとんねんやんけ。こんなんで新聞社に絶対の信頼なんか置けるわけあらへんわいのう。


 わしはマスコミ関係者でも何でもあらへんのだが、マスコミの存在の御蔭で大人になれたんで、新聞について関心を持たざるを得ん立場でもある。シロウトさんの立場から、発行部数が漸減傾向にある新聞の今後について書きたい思う。(つづく)