E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

「九つ高野山に埋められて」

 ちと書くのが遅れたが、22日に高野山行って来た。


 「南海高野豆腐線」沿線に長いこと住んでおきながら、始発から終点まで特急乗ったこといっぺんもあらへんかったさかい、難波から極楽橋まで「こうや5号(31001系)」を乗り通すことにした。わしが子供の頃、特急は新今宮・堺東・橋本しか停まらんかったが、わしが目ェ離しとるスキに河内長野林間田園都市・金剛・天下茶屋ちゅう具合に停車駅が増えとるがな。


 どーでもエエけどな、高野線いつの間に「りんかんサンライン」て呼ばんようなってん?まあ、センスのかけらもあらへん呼称やったけどな。想像するに、「命名者」の退任と同時に安楽死決定、ちゅうこっちゃろな。言うとくけどな、路線のイメージちゅうモンはの、安直な愛称づけで簡単に払拭でけるわけあらへんのんじゃいアホ。高野線は「関西ギャグ路線」のナンバーワンじゃい。2番目は南海(本)線や。


 昔は三日市過ぎたら単線やったけど、南海が社運を賭けて2本目の紀見峠トンネル掘り抜いて、「林間田園都市」開発した。しゃあけど、少子高齢化で不動産がダブついてしもて、ちゃんと将来の沿線発展計画進んどんのんけ?この駅まだ2面3線やから、順調とは言えんのがそれだけでもわかってまうのんがつらいのう。


 和歌山線の直接吊架式架線(わしはこれを「超ウルトラシンプルカテナリー」と言う)が見えてきたら橋本到着。後部4両の20メートル車両(11001系)を解結して紀ノ川を渡り、高野下(旧高野山)を通過した途端スローダウンして5%の坂に挑む「高野登山鉄道」になった。調べたとこによると、高野下-極楽橋間は4両編成でなかったら、万一1両でもブレーキ故障したら坂道転げ落って脱線してまうんで、2両でも輸送力過剰やねんけどしゃあなしに運行しとるらしいな。廃線なった「横軽」のEF63重連も、上り列車(下り坂)にかてつけとったけど、あれかて電車だけやったらブレーキ力足らんさかいしゃあないからつないどったそうやからな。いっそそれやったら、高野下-極楽橋間に「EF63の17メートルバージョン」ちゅうか、「ブレーキ車(強力な発電ブレーキ回生ブレーキ搭載した車両)」くっつけたったら2両編成でもいけるんちゃうかなあて思うねんけど、あかんのやろなあやっぱし。極楽橋から鋼索線高野山上へ。旅客の積み残しがあったと思われる。


 小学生んとき高野山駅でブヨにかまれてめっちゃかいい思いしたん覚えとるんで、長袖シャツに肌露出部分に虫除けスプレーして行ったんで、ブヨどころか蚊ァにも血ィ吸われんで済んだんはよかった。駅前に「奥の院」行きと「大門」行きの両方が停まっとったが、昼飯のことを考えて先に奥の院に。奥の院前でバス降りて、大師廟まで歩くが、長袖では暑なったんでTシャツ姿になって虫除けスプレー噴射。沿線唯一の避暑地の筈が、この日ィは30℃近くまで上がったん違うか?そんでも、木陰に入ったら結構違うし、林を抜ける風は涼やかではあった。


 廟からは一の橋に向かって「供養塔巡り」をした。「あ、これ井伊はらいべのかみ(掃部頭の誤読)や。酒井がらくのかみ(雅楽頭の誤読)はあらへんのか?」「何で信長の隣に筒井康隆のご先祖様(筒井順慶)おんねん?」と、アホ丸出しのコメントしつつ、司馬遼の文学碑を最後に昼飯にした。一の橋からバスで千手院橋に出て、こっから金剛峰寺(昔、N○Kのアホアナが「こんごうぶーじ」て言うとったちゅうのんをここで聞いた。わしゃこれからそない呼ぶことに決めた)まで歩こうかと思たんだが、程なく「大門」行きのバスが来たんで終点まで乗った。大門は高野鋼索線でけるまでは高野山の文字通りの玄関口で、康慶・運慶の後裔による「二王さん」みたいな像が彫ってあったんで、敬意を表して賽銭を差し上げた。


 世界遺産指定の「高野山町石道」を1町も歩かんと引返して、壇上伽藍へ。空海唐土から放った「槍」が引っかかった松んとこ来て、


「見たんか?(嘉○達夫のマネ)」


とツッコミ。金堂の四隅の菩薩像に陶然として、RC造の根本大塔をキックして、参道を逆行して「こんごうぶーじ」へ。ここでスニーカー脱いだ途端


「ベリッ」


ちゅうて、靴底と靴本体がほぼ分離してしもた。思うに、高野山ほぼ全域でアホなこと言いまくっとったんで、「プチ仏罰」当たったんかも知れん。徳川家霊台とか女人堂とかも見て回ろうかと思とったが、これで一気に気が失せてしもて、「ぶーじ」を最後に高野山を辞去することにした。大阪戻って来たら生ぬるかった。同行者はそれを「ある意味ほっとした」ちゅうとったが、わしには単に現実に戻っただけにしか感じれれへんかった。


 これにて、高野山日帰りアホアホ避暑旅行記の一巻の終わりである。


 なお、タイトルは、88年頃の正月の関西ローカル番組で言うとった、「吉○興業一から十まで」の一節(出演:池乃めだか間寛平中田ボタンほか)であり、こないなんであった。


(前略)「三でさんざんコキ使い」「四ィでしっかりピンハネし」「五ォで五割は取られます」(中略)「八つやめたら指斬られ」「九つ高野山に埋められて」「十でとにかくえげつない」