E-BOMBERのアホアホブログ

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文学部の存在意義

 大阪府橋下徹知事は予てから大阪府立大・大阪市立大の統合や、学部再編等を提唱しておったが、今日(3日)、それに応える形で、府立大は「理工系大学に特化し、文学部・経済学部は廃止する」ちゅう改革案を提示した。


 わしは工学系やさかい文学にそない詳しいことあらへんが、今年前半に世間を騒がした一連の「漢検問題」に対して人一倍怒りを覚える立場におったもんやよって(何回も落っただけやが)、ここで何等かの考えを表明しても、まあ、おかしいことはないやろう。


 橋下氏がこのようなことを言い出す背景を考えてみるに、文学が日本人に与える影響力がどんだけ低下しとるかちゅうことに尽きるんとちゃうけ?今日日の若い衆は3行以上の文章読んでくれん言うし、このアメーバかてアホ芸能人のスカスカなブログがアクセス上位を占めとんねんからの。書き手の力も低下しとるやろし、仮に優れた文芸評論家がおったとしても、その腕の振るいようがあらへんやろな。学生の質は何十年も前からその劣悪化に歯止めがかからんし、こと文学部の学生は勉強せんわ本も読まんわ(東大文科三類の連中はネコより勉強せんそうやないかw)、小林秀雄ばりの文学者が誕生する気配は微塵も感じられへん。


 実業界において、文学部卒の使い道に困るのは今に始まったこととは違う。概して、彼らには実用的な知識に乏しい欠点がある。国文学科に至っては語学力すらあらへんのんがゾロゾロおるやろう。国語の先生の需要には限界があるし、マスコミや出版業界かて、様々な専門的能力をこそ必要とする傾向が強なっておって、王朝文学への造詣などどーでもエエのである。


 せやけど、国語力は全ての学問の基礎であり、国語が国立大学法人大学の受験科目から外れることは、日本が第三国に侵略でもされん限り、まず考えられない。ほんで、理科系の才能はなくとも、一定以上の文科系の能力を保持した受験生を高等教育の世界に引き入れるために、国語・社会科・外国語の三教科が主体となった学部の存在は欠かせない。数学や理科が嫌いな受験生の方が多いねんさかいにのう。それに、文学部の廃止は、文学者の質の低下に拍車をかける危険もある。費用対効果でいうたら最低の学問分野ではあろうが、それはしゃあないことであって、そもそも文芸や語学にコスト論がなじむわけがないやろう。


 そうはいうても、ある程度ツブシの効く文科の方向性を示す必要はあろうのう。数学がニガテな受験生が多いいうても、コンピュータがこんだけ普及しとる現代社会にあって、文学部卒が揃ってITオンチちゅうのは頂けない。文学部の学生にはそれに相応しい数学的な才能があるやろう。何も三角関数微分積分をせえとまでは言わん。ただ、集合論や論理数学は電子工学科並みにやらせるべきやとわしは考える。論理的思考能力は、文章の読み書きに益する所大やろうしの。国文学科で国語学を専攻しとる学生やったら、文章読解力は抜群やろし、他の専門的な知識を吸収する力は他の学部の学生よりもあるはずや。せやさかい、文学部は総合大学に設置すべきであって、単科の大学にするのは不適やろう(都留文科大が怒って来るかもしれんが)。


 大阪には総合大学として阪大の他に、府立大、市立大、関大、近大などがある。わしはアホやから無名単科大学にしか行けんかったが、総合大学の魅力は、様々な異種の学問分野が一つ所に集合し、相互に影響を及ぼしあうことにあるのではあるまいか。せやさかい、府立大の文学部や経済学部を廃止するのにわしは反対である。「まいど1号」かて航空宇宙工学だけの寄与で開発されたものとは違うはずで、理学・工学などで分類し切れないありとあらゆる力の結晶やろう。