この国は今日(15日)に最後の敗戦を迎えてから丸64年を迎えた。で、この間、米ソ対立体制確立、朝鮮戦争、中ソ反目、文革失政、朴独裁から全斗煥による民政移行、ソ連邦解体、日本のバブル崩壊、韓国の通貨危機、中国経済の勃興、北の核保有、リーマンショックと、内外の様々な変化の中で、平和憲法と日米同盟を2本柱に、日本とその周辺の安全はどうにか保たれてきた。
中国は、ここんとこの経済発展もあって、軍事費も右肩上がりで伸ばして来ており、北東アジアの軍事バランスは崩れつつある。チベット・新疆ウイグル両自治区問題もくすぶってきた。北朝鮮には恐らく侵略の意図はないと思われるが、核武装で周辺諸国の軍事外交の環境に暗い影を落としておる。
日本がこの状態を拱手傍観しとってエエはずはない。こちらに侵略の意図がのうても、他民族を支配し、人権意識が極めて希薄で、近代法治主義に程遠い隣国が、いつぞや矛先を向けて来えへんとどうして断言できようか。
「軍隊や兵器は戦争遂行のためだけにあるんと違う」
「軍事力の不均衡は却って戦争の元になる」
と、他国からの侵略に対して警鐘を鳴らし続けても、歴史・政治オンチでドタマのカンカチコンに固い反戦運動家はちいとも耳を貸さない。どうやらこの方々は、日本が侵略者に対して白旗を掲げたら、日本民族がより良い暮らしがでけるようなるやなんて漠然と思とるんやろうのう。冗談やあるかィ。中学程度の歴史見ても、侵略者が被征服民にどんだけえげつないことやらかして来たんかは十分想像でけるわい。
「どんな戦争であっても、戦争は絶対悪である。これは絶対なくさなければならない」
これも実は危険な考え方である。これはつまり、「一旦他国に侵略された民族は、未来永劫その現状に甘んじろ」と言うてるようなモンである。「それなら民主的な手法で独立させればよいではないか」て反論も考えられるが、そんなんで済むぐらいやったらイラクがあないに泥沼化するわけがあらへんわい。イラクのクルディスタンは石油がようさん埋蔵されとって、アラブ系のスンニー派居住地域は石油があんましあらへんさかい、クルド人に自治権すら渡したないちゅうんがホンネやろ。しかもクルド人居住地域はイランやトルコに跨っており、ヘタに自治権を認めたりしたら対外的にも面倒なことになるんは明白である。民族・宗教をめぐる各派の思惑が絡み合い、外交問題に発展することも考えられる中で、平和的・民主的な手法でクルディスタンが独立でけるわけがない。戦争を全否定しやんとあかんのやったら、30年に亘る内戦を経てエチオピアから独立したエリトリアを承認したらあかんことになるぞ。
「軍事力の行使によって成立した体制は軍事力によって倒される危険性を常に孕む」のも一面の真理を衝いていることは間違いあらへんやろうが、農業の発展が見込めないなど、産業や民主主義が容易に成長でける環境に恵まれぬ国家や地域が厳然として存在する以上、軍事独裁政権国家はなくならない。現生人類の直接の祖先クロマニョン人は、旧人類ネアンデルタール人を滅ぼしてそれに取って代わったとする説があるが、両者の作製した石器の巧拙を見ただけでも、それは十分に考えられよう。もしかそれがホンマやとしたら、人間は天性から戦争好きてことになるわな。その一方で、両人種間の交雑の可能性も認められるのがせめてもの救いである。でなかったら、SETの小倉久寛はこの世におらんかったことになる。