E-BOMBERのアホアホブログ

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死刑は無くせないのか?

 3ヶ月先には裁判員制度が始まるそうやけど、素人の裁判員が量刑まで決めるそうやないか。「こいつは死刑や」て、わしらアマチュアが言うことの是非はともかくも、死刑制度について改めて考えてみたい。


 わしが最初に聞いたところによると、刑罰に対する考え方には「教育刑論」「応報刑論」いうのんがあるそうやけれども、この「応報」や「教育」に即した死刑存廃の議論は、普通に聞くことがあんまりない。


 んで、興味にかられて辞書で関連する所を調べてみると、これとは別に「抑止論」いうんがあって、「教育刑論」は、実は「目的刑論」の一部であって、「目的-」には別に「一般予防説」があって、これと対立する格好なってる「教育刑論」は「特別予防説」の説明的な呼び名みたいやな。詳しい所は専門家に聞いた方が早いかも知れんが。


 こんだけやったら何のこっちゃようわからんけど、まあ要するに


(抑止論)刑罰は、犯罪の発生を抑止するためにあるとする考え方

応報刑論)刑罰は、犯した罪に対する応報であるとする考え方

(一般予防説)刑罰は、一般の人たちが犯罪に巻き込まれるのを防ぐためにあるとする考え方

(特別予防説)刑罰は、犯罪者を教育によって更生させるためにあるとする考え方


と書いて、大きな間違いはないやろうと思う。

 さて、まず最初に抑止論やけど、世間一般で死刑について語られる場合、どうやらこれを引き合いにしているのんが一番多いみたいやな。

 「死刑を廃止してみィや、犯罪を抑止でけんようなるで。せやさかい絶対廃止反対や」

 「いんや、死刑残しても、凶悪犯罪全然減れへんやんけ。死刑に犯罪抑止の効果はあらへん。無期でええ」

 「せやけど、無期懲役で死刑の代わりは軽すぎるで。終身刑導入しやんと抑止力は保てんど」

上の三つの意見は、どれも一定以上の説得力があるみたいで、なんやいつまで経っても結論出ぇへんみたいやねんな。死刑や無期いうた重い罰があるさかい、犯罪数が現状の数字で収まってるんは多分事実やろうし、たとえ死刑でも、犯罪抑止効果に限界があるんもわかる。終身刑はある意味死刑より辛いんかも知れんが、考慮の余地はあるわな。

 次の応報やけど、その一つの究極が「ハンムラビ法典」の「復讐法」かな(多分、抑止も狙っとるんやろうけど)。復讐法はいわゆる近代法治主義の「犯罪被害者に代わり、法に基づいて国家が犯罪者に刑罰を下す」とは相容れんやろうけど、「因果応報」は今でもよう使われる四字熟語やし、これにも一定以上の説得力はあると思うわな。「人を殺した者は死刑になるべきだ」「被告を死刑にしてください」いうセリフは、よう被害者とかの口に上ってくる。

 一般予防、これがいまいちようわからん。いや、確かに犯罪者を隔離したら、当該犯人による犯罪は一定期間以上防げるで。んでも、常習犯やったら出てきたらまた元の木阿弥やし、執行猶予期間でも平気で犯罪に手ェ染める族もおる。この伝で行けば、極端な話、どんな常習犯(たとえ軽犯罪法違反)でも死刑か終身刑にしやんと、そいつが死ぬまで犯す罪はのうならんさかいあかんいうことなんかいな?まあそれは言い過ぎにしても、終身刑を導入するひとつの動機にはなりそうやな。ただ、終身刑は結構コストがかかるのも事実。せやけども建前上、たとえ死刑囚にも「処刑されるまでの生存権」はあるし、生命に対する尊厳上、コスト論は馴染まんのかも知れんけどな。

 特別予防はまだわかりやすいな。犯罪者に更生教育を施して二度と罪を犯させんようにして、社会復帰さすいうやつやな。せやけど、前科者(特に凶悪犯)の再犯率が高いいうことは、教育が実を上げておらんいうことちゃうんやろか(「ムショ暮らしはもうこりごりや」のはずがこれやから、抑止論の限界を示すものでもあろうの)。「金嬉老事件」で三十年の刑期を終えた男が、韓国に渡って殺人と放火をやらかしたそうやから、長いことブチ込んだかて、教育の効果とは全然関係あらへんいうのんがようわかるわ。教育は刑務官の仕事やなしに、カウンセラーとかの領分やろな。

 ここまで見て来てわしに導き出せる結論は、消去法でいくと、

教育刑は、効果的な更生プログラムが開発されとらん以上、現状ではほとんど無意味に近い。

・抑止力はある程度働いとるやろけど、限界がある。

・一般予防は確かに考え方の一つではある。終身刑の導入を考慮すべきではないかと思う。

応報刑は、凶悪犯に死刑を望む遺族が結構多い現状から見ても、重視せざるを得ない。


となると、たとえ終身刑を設けても、死刑はなくせんのかなぁ。