E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

わしは屈折した〇神ファン

 大阪弁で書いとるわしは〇神ファンである。しかし相当変というか屈折した〇神ファンである。

ブログネタに困ったときは、〇神ネタで行くことにする。


 わしの親父は結構マジな読売ファンであった。こういう場合洗脳されて読売ファンになるもんで、中学あたりまではせやった。せやけど「江川問題」で子供心にも「この球団おかしんちゃうか?」と思うようになり、やや興味をなくしかけてテレビ観戦も減った。

 せやけどわしはまた野球を見るようなった。今度は〇神ファンとして。大阪を離れることと、「バックスクリーン3連発」の年の日本一とをきっかけに。それが長い長い暗黒時代の始まりであることも知らんと‥‥‥


 読売ファンで〇神嫌いな親父は容赦なく「トラネコ」呼ばわりしてきよるし、果ては「〇神百貨店」を「ネコデパート」、「〇神電気鉄道㈱」を「ネコ電」と呼び、しまいにはわしまでそない言うようなってしもたんやんけ。(因みに「阪急電鉄」はブレーブスやから「ブス電」であり、「阪急〇神ホールディングス」は「ブスネコホールディングス」となる。他にも「ヤキトリスパローズ」「マルヘ(大洋)」「アホークス」「バカローズ(タフィーのことではない。念のため)」などと遠慮なしに言うとった)


 その弱い弱い〇神タ〇ガースが03年に優勝しよった。弱いときには甲〇園行かん主義やったわしも行くようになった。05年には右翼席デビューも果たして、球児のプロ入り初セーブのシーンを見ることがでけた。下品なヤジも飛ばすようなった。06年、関本がデッドボール食らってぶっ倒れたときに、左翼席から巻き舌で


「こるぁぁぁーっ何さらすんじゃ

アホンダラアホーッ!(この部分、や〇きた〇じん調)

岡田ーっ、しばきに行けーっ!」


以後この「しばきに行け」いうのんが、わしのお気に入りのヤジになってしもた。