E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道(164)

朴槿恵大統領の職務停止で事実上の政治空白状態にある韓国で、一時は次期大統領候補の最右翼と目されとった「史上最低の国連事務総長」の異名を取る潘基文氏が不出馬宣言をした。
 
この野郎は、事務総長時代には一昨年の日韓合意を評価する発言をしとったが、任期が終わった途端に口を拭いて「10億は返すべき」などとほざいて、自ら臆面もなしに外交常識の欠如をさらけ出しよったアホである。如何に韓国の情が法を凌駕する国情であったかて、こんなんが一国の大統領になっとったら「地獄の韓国」がより深刻化するだけやなしに、日本にかて火の粉が降りかかることなるやろう。
 
せやけど、潘君が退場したことで、後に残った候補二人が二人ともサヨクになってしもたんで、むしろ韓国国民にとっても日本にとっても最悪の結果になる可能性が出て来た。特に「韓国のトランプ」と称せられる李在明・城南市長などは徹底した反日・反米・親北主義者で、こんなんが大統領なった日には、ヘタしたら南鮮が北鮮に併呑され、釜山に核ミサイルが配備されるちゅう、日本の死命を決定してまうほどのえげつない状態になってまうことすら考えれる。日本で嫌韓を叫ぶアホな連中も少しはドタマ働かせアホ。
 
「(中略)秦漢以来、漢族の勢力範囲が拡大されると共に、漢族の南方に移住するもの多く、南方の非漢族も次第に漢族化して、南支那の風気は漸次開発されて来たけれども、西漢時代には、「山東出相。山西出将」(『漢書』巻六十九、趙充国伝賛)といふ諺があり、東漢時代にも、「関西出将。関東出相」(『後漢書』巻八十八、虞詡伝)といふ諺がある通り、当時の文武の大人物は、依然北支那から出て居る。この山東、山西の区別は、華山(陝西省)を基点として定めた名称で、関東、関西とは、函谷関(河南省)を基点として定めた区別であるが、その内容は略同一で、何れも北支那を指して、南支那は含まぬ。降つて西晋時代に至つても、「予州人士。常半天下」(『晋書』巻七十一、陳●伝)(●=君+頁)といふ諺があり、又「陳留号称多士」(『晋書』巻七十七、蔡○伝)(○=言+莫)と記されて居る。予州も陳留も、今の河南省の地に当る。当時今の河南省を中心とした北支那が、人物の淵薮であつた。之を事実に照らして見ても、始めて支那と西域との交通を開いて、その功績をさをさ新大陸発見のコロンブスにも比較される張騫は、漢中(陝西省)の人、支那史学の開祖で、支那ヘロドトスと呼ばれる司馬遷は竜門(陝西省)の人、訓詁学の大家で一部の経学者から、孔子以上に尊崇された鄭玄は、北海(山東省)の人、支那嫌で有名な平田篤胤すら、「孔子以後唯有孔明」とて、その完全無欠の人格を推奨措かざる諸葛亮は、瑯琊(山東省)の人で、何れも北支那に属する。この期間に於て南支那には、之に比敵し得る程の、一個の大人物をも見出し難い。両漢、三国、西晋時代を通じて、文化の中枢が、先秦時代と略同様に、北支那に存在したことは、否定することが出来ぬ」
 
桑原先生は、「孔子孔明」(全集第一巻所収)で、蜀漢が魏に敗れ併せられたんは、蜀(四川)が険阻な山岳によって中原と隔てられた地域であることから、有用な人物がなかなか得られんかったことを指摘しておられる。事実、先主備は中国各地を流浪する立場やったんでなかなか文才ある士人を得られず、偶然諸葛を得たんは荊州(湖広)の劉表食客やった時代やった。せやから蜀漢は先主、関張趙らの将、亮らが没して急激に衰退し、逆に仲達ら人材に恵まれた魏に食われてしもてんな。険阻な地形は戦術的には天然の要害やけど、戦略的には弱点なるちゅうことは重要な教訓になるやろう。
 
これと似たような事情は、朝鮮半島にも当てはまる思う。「朝鮮」は今でこそ固有名詞やけども、昔は「朝(貢物)鮮(少ない)」所ちゅう意味の普通名詞やった。この半島を「朝鮮」と称したんは、大噴火を繰り返す長白山(白頭山)によってその大半が火山灰に覆われ、地味が悪かったことが原因として考えれる。地味の悪いとこに農業は育たず、農業育たんとこに人材現れんちゅう訳やな。無論、朝鮮にも新羅統一の功でしられる金庾信のような人物がおんねんけども、その後の朝鮮史に見るべき人物はあんましおらんし、それが現在の韓国・北○鮮の混乱の遠因になったあることはまず間違いあらへんな。さなぎだに、韓国が春窮を脱してから未だ日浅く、人材が育つまでにはまだまだ時間かかるやろう。(つづく)