E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道(131)

タブレットIMEは変換候補が貧弱で、わしのブログには不向きや。せやさかい、今回からはまたPCで打つことにする。さなぎだに桑原先生の文章は語彙が豊富なんで、変換候補がようさんなかっては打てんのや。

 

今回は「国際間の驕児としての支那」第五章からや。

 

支那は笞の用意を要する国である。支那人の庭訓には必ず楚撻を忘れぬ。父の字は(中略)『説文』に手に杖を挙ぐるに象ると解してある。人の父たる者は折檻の杖を忘れてはならぬ。支那では五十歳六十歳の老人になつても、大臣大将に立身しても、子が間違ひをすれば、親が必ず折檻の杖を下す。厳父慈母といふのが、支那の伝統的熟語である。母は慈悲を以て子を憐れみ、父は折檻によつて子を正すのが、支那人の子を教ふる常法である。慈父敗子といふ諺がある通り、折檻すべき子を姑息の愛に惹かれて、杖を使用せぬと、其の子は必ず堕落する。『顔氏家訓』を始めとして、支那の家訓といふ家訓、家範といふ家範には、子弟や奴僕に対して、懲罰折檻の忽せにすべかざることを繰り返へしてゐる。折檻の笞を使用せぬ家庭に、驕児黠奴が出来るといふのが、支那人の信条である。支那人の天下は家庭の延長又は拡大に過ぎぬ。従つて家庭に対して折檻の笞を必要とする支那では、勿論天下に対しても懲罰の刑を必要とする。小恵は大恵の賊といひ、小仁は大仁の賊といふ。『書経』に恬終賊刑とあり、『周礼』に刑乱国用重典とある。兎に角支那人は幾千年間を通じて、かかる庭訓がある政治に養成されて来た国民である」

 

長々と書いたけども、中国の易姓革命の歴史こそ、国を紊す主君に対して振るわれる鞭やちゅうことを示しとる。ほんで、国際化の進んだ現代にあって、その鞭は政治的・軍事的な外圧を印加することに他ならん。平和主義者の好きな「話し合い」なんぞでは解決せえへん問題があるさかい、制裁や戦争ちゅう刑罰が要んねんやんけ。この点では個人的な犯罪の取り締まりと共通したあるな。

 

「所が列国の対支外交は慈母の愛を施すのみを知つて、厳父の威を用ふることを忘れてゐる。かくて支那をして今日の如く国際間の驕児たらしめ、又敗子たらしめんとする責任は、列国の誤れる対支外交に帰せねばならぬ。吾が輩はこの意味に於て去る五月断行した、我が国の山東出兵を衷心より歓迎する」

 

これまで繰り返し書いてきたように、民国時代の中国にはマトモな統治機構なんかあらへんで、それこそ山賊に毛ェ生えた程度の連中が好き勝手なことさらしとったに等しい。正に三国・五胡十六国五代十国の混乱期の再来やった。日本としては世界帝国の野望に燃える(て看做しとった)ソ連邦の南下を恐れとったが、中国にそれを禦ぐ力なしと見て、やむを得ず大陸へ出兵したちゅうのんがまず正当な評価やろう。戦争を蛇蠍視するサヨク連中には理解し難いこっちゃろうが、死ぬまで分からんやろからまあ放っとったれ。

 

この第五章が「国際間の―」のサワリの部分なんで、次回もその続きを書くことにする。(つづく)