E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道(124)

今回からは桑原隲蔵先生の「国際間の驕児としての支那」によって、現代中国の問題を読み解くことを試みることにする。同じ歴史は繰り返さんけども、似たような歴史は繰り返すねんからの。

 

この論文が書かれたんは1927(昭和2)年やから「この両三年来の支那は、立派に国際間の驕児となり済ました」とは、孫文が没する前後の民国の混乱期に当たる。ちゅうか、民国は辛亥革命から台湾逃亡まで混乱してへん時期なんかあれへんかったな。正しくは、革命政府(孫文蒋介石・汪精衛ら)や旧北洋軍閥(段祺瑞・馮玉祥・張作霖ら)の分立抗争期、とでも言うべきか。

 

いずれにせえ、この時期の民国には近代国家としての条件などまるで整備されとらんかって、それどころか果たして「国」やなんて言える状態やったかどうかさえ怪しいレベルやった。もっと言うたら、「国」の意味は現在と昔とではかなりニュアンスが違うかって、結論から言うたら中国人の考える「国」は諸外国人の考えるような「国」とはまるで別モンやった。

 

「醜い中国人」シリーズでしられる黄文雄氏の解説によると、中国には天子が治める「天下」という概念は広く国民の中に浸透しておったけれども、「国家」とか「国境」とかの概念はまるでなく、「天子・内臣・外臣・属国・四夷」ちゅうた具合の判然とせん代物しかなかったそうや。中国が近代的な国家の概念に最初に触れたんは阿片戦争の敗戦時に締結した南京条約に際してであって、それまでは上のような独特の概念を以って「国」としとったちゅうことや。

 

「国」の概念はさておいても、当時の民国には一体どこの誰に主権が存在するんかさえも分からんで、さながら五胡十六国五代十国を髣髴とさすような「天下大乱」の時代やった。せやからまあ、「殊に最近一年間は、傍若無人に驕児振りを発揮して、列強を手古摺らして居る」んもしゃあない一面はある。国の体制の健全性はともかくとして、主権が中国共産党にあることがはっきりしてる中華人民共和国が現在、諸外国をてこずらしとるのとは少々意味合いが違うみたいや。

 

せやけど、共和政ではなかなか治めることがでけんので、統治のために共産主義という強烈な枠組みを必要とする中国の問題がその根柢にあることではこれらは共通してると言え、またそこに中国の悲劇があるんや思う。せやさかい、この論文を読む前に、中国にはそないした深刻な問題が横たわってることを押さえとく必要があるんやないやろか。

 

次回からは「国際間の驕児としての支那」の本文に移る。(つづく)