E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道(122)

中国共産党の軍隊である人民解放軍とは、いわゆる反革命分子を誅滅する目的で編制された軍隊で、外敵を撃退する目的はあらへんという建前ではある。無論建前は飽くまでも建前に過ぎず、実際には中ソ国境紛争中越戦争で動員下令されとるんだわ。

ただ、彼らの実力は多寡がしれたあるとの指摘があり、特に陸軍は中越戦争ベトナム陸軍に対してかなり苦戦を強いられたとの情報もある。その一方で、海軍はベトナムに打ち勝っており、空軍も数がやたら多いんで侮れないと言われる。せやから、全体の実力は未知数と言う他ナイみたいや。

ほな民国時代の軍隊はどやったかちゅうと、「支那猥談」ではかなり手厳しい評価を下されてる。

支那の軍隊も古今を通じての厄介者である。それでも漢時代には、胡兵五而当漢兵一など称せられて、支那の兵士も相当勇敢で素質も好かった。唐の中世に兵農分離して、兵士を雇募することになつて以来、その素質は日一日と低下して、「遂に好鉄不打釘。好人不当兵」—満足な人間は軍隊に入るべきでないとの意味―とか「鉄到了釘。人到了兵」—零落の真底に陥る意味―とかいふ諺まで出来、兵士といへば人間としての最劣等の屑物を意味するに至つた。北宋の欧陽脩は当時の軍隊に就いて、「不足以威於外。而敢驕於内」—外寇を防ぐことが出来ぬ弱い軍隊、されど国民だけを虐げることが出来る強い軍隊―と嘆息して居るが、その嘆息はその儘民国今日の軍隊に適用することが出来る。いかにも民国の軍隊は装甲タンクをも使へば、飛行機をも用ゐて居る。その隊制や武器からいへば、立派に二十世紀の軍隊であるが、その精神や素質からいへば、九百年前その儘の軍隊といはねばならぬ。かかる外形と内質との懸隔は、必ずしも軍隊の一方面のみに限らぬ様に思ふ。そこに民国の最大弱点がないであらうか。吾が輩は近年喧伝されつつある支那人の覚醒の真実ならんことを切望するものであるが、真実の覚醒は今少しく根本的精神的であつてほしい。かかる根本的精神的の覚醒こそ、日支両国共通の一大幸福と思ふ」

唐代に始まる文官の優遇と武官の劣遇の弊害は一千五百年以上の歴史を誇り、骨絡みの状態になったあると断じてエエやろう。さなぎだに近年の経済発展によって、発財するには民間企業に勤めるに限るという風潮が強まっておるから、何が悲しゅうて軍隊なんぞに入らんとあかんねん、てなったあるやろう。つまり、軍隊の人材の劣化はさらに進んだあると見るんが正しいやろう。

この件は、中共の海洋進出に怯える日本人にとっては有益な情報となろう。張り子のトラは千年経っても張り子のトラのままで、ある日突然に強力になるなんてことはあらへん。今の中共の強気の発言は「言うだけ番長」のそれでしかナイんや。

これまでここで書いて来たように「中国の覚醒」などまるで考えられんこっちゃ。それは中共が崩壊してから後でも考えにくい。彼らが中華思想を捨て去り、日本から虚心坦懐に学ぶなんてことは、個人レベルではともかくも、国家レベルでは到底想像がつかん。そうでなかったらパクリみたいな堕落した行為などチャッチャとやめとるはずやし、国土の汚染なんかここまで深刻になったあらへんわい。まあ、覚醒するまであと数千年はかかるやろうなあ。

支那猥談」はこんでしまいや。次回からは「国際間の驕児としての支那」や。これが90年前の論文のタイトルに見えんのがコワイがな。(つづく)