E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

不況だ。今こそ「飛び級」を導入せよ(2)

 この不況の中、一年の飛び級でどんだけ家庭もコクドも助かるかを考えたら、早うでけるヤツは早う卒業さしたったエエやないけ?なお、このブログは、旧国土計画とは全然関係ない。コクドとは、国の財布のことである。


 九九なんざ、早いヤツは小学1年でも全部覚えられる(アホなわしかてせやったさかい間違いない)。時間の計算かて2年でもでけるヤツはでける。でけん衆にはわからん授業が苦痛以外の何者でもない一方で、でける衆に簡単すぎる授業は退屈以外の何者でもない。小学算数・中学数学なんざ、どんどん進ましたれや。


 但し、1年分スキップさすからには、その条件は当然に厳しいしやんかったあかん。例えば、算数・数学の飛び級に、問題の「数検」を利用するのもエエかとは思うが、中学1年の数学をスキップするんやったら、数検5級(中1程度)だけやなしに、すぐ下の6級(小6程度)の合格も要する、とかである。英語で「英検」利用の場合も同様である。


 困ったことに、スキップ判定に直接使えそうな検定や国家資格は英語と数学以外あまりない。「電験3種」とか持ってたら高校レベルの電気磁気は合格にしたってエエかなとは思うが、力学・波動がすっぽり抜けたあるしのう。「地理」「歴史」は検定利用ででもどないかなりそうだが、国語はムズカシそうやな。数検よりも問題の「漢検」「文検」だけではあかん。詩歌鑑賞とか文化史関連のこともわからんとあかんし、広く一般常識を問うこともここでやっとかんとな。一般常識いうたかて、「まほうびんをコンロにかけても湯ゥは沸かん」なんてことまでやらんならんとは言わん。そんなんは、「アホな東大」と斬り捨てればよろし。


 英語・数学は検定の利用でエエとしても、他の教科・科目は文科省側で用意したらんとあかんやろな。国社数理英だけやなしに、芸術系もやった方が理解が得られやすかろう。音楽は「楽典」「器楽」「歌唱(和音の識別なども含む)」「鑑賞(クラシックの「イントロ当てクイズ」的なん)」「音楽史」の5科目中3-4科目でエエやろう。ペーパーテスト中心とは言うたが、音楽ではやっぱし実技は外しにくいわ。オンチでは飛び級はむずかしなりそうやが、楽典とかでがんばってくれ。図画工作・美術については、予め与えられた課題を次々こなしていけばエエとしましょうや。「他の子の作品を見ることを参考とすべき」という反論もあろうが、掲示するだけで十分やろう。わしの狭い知見では、美術の分野で見るべき創造力を発揮できる子は極めて稀有であり、他の子ォが参考にすべきものなどそうは多くない。教科書に掲げたある実例以上のものを教室内で見ることなど滅多にあるまい。道徳などは国語に併合してエエやろう。倫理観と国語力にはある程度の相関関係があると思われるし、無知なヤカラに道を説いてもムダと違うやろか?漢文の授業で「論語」「孟子」をこれまで以上に広くやればよろしかろう。間違うても「修身」みたいなんはあかん。昔の修身の教科書に書いたあるみたいな「守らん方が得する」教えなんぞに誰がついて行けるか?「善を勧めて皆が得する功利主義的なこと」やったらついて来れようが。体育の「実技」はほぼ現状どおり年齢・体格に合わせたものでよろしかろう(低学年用バスケ「ポートボール」など)。せやけど、「保健理論」「体育理論」にはスキップを許容してもよい。ヘンにごまかしだてせずに丁寧に解説すれば、優秀な児童やったら、何の偏見もなしに素直に学ぶことがでける。トシがバレるが、わしがまだ子供のとき、加藤茶が「ちょっとだけよ。あんたも好きね」てやっとってんや。わしはそのコッケイさに笑いはしたが、これに大人が何で眉を顰めるんかさっぱり理解でけんかった。それはせやろ。子供に性欲はあらへんねんさかいに。PTAが徒に平地に波風を立てるだけのものであることが、これでようわかるやろ。


 飛び級認定の試験は、やっぱし年度末にやるんが適当やろな。ちょっとでける子ォやったら、小学校の勉強を3年で修得でけるやろう。しかもこの「飛び級」とは個々人の達成度を示すものであって、競争や偏差値とは無関係である。努力して得られるものは「勝利」よりも「達成」の方がエエんではなかろうか。