E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

政治も、行き過ぎて戻れ。

 いわゆる「事業仕分け」の第一・ニ弾が終了した。国民の受けは良好で、政治評論家の屋山太郎氏も「官僚が密室で決めていたことを表に出したことはいいことだ」と発言しておられる。自民党大島理森幹事長は「パフォーマンス」と貶しとるが、一方で同党の谷川秀善参院幹事長が「何でウチででけんかったか」と嘆いて見せたんが印象的やった。外交防衛問題は兎も角、ディスクロージャが世の中の趨勢やちゅうことを大島みたいな古いタイプの政治家には理解でけんのはわかるが、官僚の作文頼りの自民政権で、官僚に対峙でけるわけあらへんことを谷川には理解でけんかったんか?


 ただ、この「必殺仕分け人」を水戸さんの葵の御紋みたいに考えるんは危険やろう。言論に絶対者を立てたらあかんのんが民主主義の絶対のルールやし。抑も、仕分け人が完璧な人間なわけあらへんし、ましてや科学・技術に対しての理解が政治家や財務官僚にでけるとは到底思えん。財務省の連中は、アホな政治家を籠絡して省利省益を引き出して、他省庁の予算を削ることにばっかし汲々としとる東大出のアホばっかしで、どの部分に予算を重点配分したら将来の税収増を引き出せるかについてさっぱり考えとらん(としか思えん)。こんなんが黒幕で仕分けを仕切っとんねんさかい、それだけでも胡乱に見えてくるわィ。仕分けの会場を仕分けの対象にしたちゅうけど、あれかて数年後に売却することが財務省内で決まっとったそうやないか。


 科学・技術分野の予算に大ナタを振るったことについても批判が集まっておる。蓮●(●=舟+方)の言う「二番」ではあかんとわしも思う。「一番を狙わんと二番にも三番にもなれん」のがこの世界の厳然たる事実で、量子コンピュータちゅう明確な技術目標がある以上、それに邁進しやんとあかんのは火を見るよりも明らかなこっちゃあらへんのんけ?ただ、何でもカネかけりゃエエちゅうもんではなしに、窮すれば通じるとこがあんのが技術の世界でもようある。日本は敗戦後、電気工学の研究を進めたくとも先立つものがあらへんかった。そこで、紙と鉛筆だけででけるフィルタ(濾波器)の研究が進み、それは現在でもADSLスプリッタをはじめ様々な機器に応用されておる。トランジスタが高価なるが故、AM受信機でレフレックス回路が編み出され、スーパヘテロダイン受信機が誕生するまでの間、安価なAMラジオに利用された。第一次大戦は化学の戦争、第二次大戦は物理学の戦争と言われるが、後者では弾丸やミサイル弾道などの計算に数学が導入されており、数学の発展が今後の軍事戦略上不可欠であることを窺わせておる。近頃はパソコンも相当進んでおるから、一般家庭でも相当なレベルの数学の研究が出来うる環境にある言うても過言ではないやろう。せやさかい、科学分野といえど仕分けの俎上に上せることを躊躇うことがあったらあかん。研究内容を国民の目線に曝す数少ない機会と割り切って考えてもらわな。


 ほいでから、ミサイル防衛関連ちゅうた具合に、仕分けになじみにくいモンまで仕分けしようちゅう、明らかに行き過ぎた面があることも指摘されとる。ただ、国家戦略室で行き過ぎた面について若干の修正が加えられることが予想されるが、自民政権のお家芸であった「骨抜き」はご勘弁願いたい。あくまでも、「行き過ぎたところを戻す」のである。逆に、行き過ぎることを恐れてはならない。今回の仕分け作業自体、行き過ぎを恐れずに敢行したものやろうに。

 自動車エンジン開発する技術者がどないして車のパワーウエイトレシオ(出力対重量比)を上げるかを考えてみるとエエ。出力を上げすぎてエンジンを壊してはあかんさかい出力を絞り、エンジンの剛性を上げ過ぎると重量が増えてまうから材料をへずる。これら二つの「行き過ぎ」と「戻り」の過程を繰り返してようやっとエンジンの最適解が得られる。今回の「仕分け作業」は、政府の事業の最適解を求めるために必要な「行き過ぎ」であると理解すればエエやろう。「行き過ぎ」たら「戻る」んは当たり前のこっちゃないけ。官僚は無謬性でその地位を守られておるが、公選される政治家にはハナからんなモンはあらへん。むしろ堂々とエラーをせえ。