E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道 (232)

前回は「委員会NP」でもおなじみの近藤大介・週刊現代特別編集委員をしばいたが、そのフォローをするつもりは微塵もあらへんねんけども、彼にはそれなりに東大卒らしさもあって結構オモロイことも書いてる。

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61218?page=3

 

『中国では俗に、「庚子大禍」と言う。世界が新しく始まる「庚子」(かのえね)は、その前に古い物が一掃されるため大禍になるということだ。1840年にはアヘン戦争が起こり、欧米列強の半植民地時代が始まった。1900年には義和団の乱が起こり、清朝滅亡の契機となった。1960年は三年飢饉で、5000万人とも言われる餓死者を出した。そして、2020年――。冬には新型コロナウイルスで中国全土が震撼し、8万5366人の感染者と4648人の死者を出した(7月8日現在)。そしていままた夏の大水害である』

 

これは掛け値なしに面白い。そこで、他の年はどないなっとんかちゅうことに興味が駆られ、ウィキペディアで庚子の年のできごとを調べてみた。ネット時代は便利やな。

 

紀元前841年(司馬遷史記』の年表の初年)、周厲王追放。周で共和政始まる。

 

いきなりやな。独裁制お家芸の中国で共和政とはのう。

 

紀元前781年、翌年、三川岐山地震。涇水・渭水・洛水の三川涸渇と岐山崩落。

 

ここでも天異地変か。やっぱし中国大陸は災害に弱いようやのう。日本とは全然別の意味での。

 

前661年、翌年、衛懿公、翟に敗死。衛一時滅亡。

前381年、楚悼王崩、呉起呉子に比定)殺。

 

孫呉の兵法で名高い呉子の最期の年も庚子か。未だに外交を騙し合いと勘違いさらしとる中国らしいんかもな。

 

前261年、翌年、長平の戦いで秦が趙を大破。

前201年、前年、垓下の戦いで項羽敗死。前漢興る。

 

前漢高祖はこの後、秦楚平定の功あった武将を王侯に封じたものの、その勢力拡大を恐れて粛清にかかることになり、その結果として外戚呂氏の専横を招いてまう。

 

前141年、漢武帝即位。

 

武帝は外征で成果を上げて前漢の王朝は全盛期を迎えたものの、それが却って内政の腐敗を招いてしもて、こっから坂道を下り落ちるように凋落を始める。今の中共体制によう似てへんけ?

 

紀元後40年、大越で趙側・趙弐の乱。五銖銭鋳造決定。

 

如何に強大な中国王朝でも、名将馬援の力を以てしても大越を屈服でけんかった。その後陳朝大越は蒙古の侵攻に対して一旦は臣従を強いられるものの善戦して侵略を防ぎ切り、ベトナムは2000年を経た現在でも中国が一目置く強国の地位にある。

 

後100年、「設文解字」(中国最初の字典)成る。

220年、後漢滅亡。魏(曹魏)興る。

 

日本では三国志ゲームが大人気やねんさかい、これを入れんでどないすんねんな。

 

280年、司馬炎、呉を滅し西晋統一。

400年、西涼興る。西秦一旦滅亡。

460年、柔然、宋河西王を滅す。

580年、翌年、隋興る。

 

昔のこっちゃさかい1年の誤差を許容するとしたら、結構色んなことが起こったあるな。これはなかなかの法則ではある。

 

700年、武周革命期。則天武后の時代錯誤的統治で国内混乱。

940年、日本で天慶の乱平定、平将門敗死。藤原純友の乱

 

敢えて日本の事績も入れたが、それはそれで説得力の補強にはなろう。

 

1120年、方臘の乱。

1240年、蒙古、キエフ大公国を滅す。金張(欽察)汗国興る。

1360年、日本で南朝の赤坂城落城。

1420年、紫禁城完成。

1600年、播州の乱鎮定。日本で関ヶ原の戦。

1720年、清朝西蔵制圧。

 

そうか、チベットは300年来の再独立のチャンスが到来したんやな。これを逃してはならんやろうし、それには日本の協力も必要やろうな。

 

後は近藤氏の書いてる通り、1840年阿片戦争勃発、1900年の北清事変、1960年の農村下放失敗による三年飢饉で5000万人餓死と来て、今年2020年の武漢肺炎(中コロ)と三峡ダム危機である。

 

歴史は繰り返すちゅうけども、安史の乱以降全然進化の様子が見られへん中世人の中国人のこっちゃさかいこんなモンやろう。現在の中共は盛唐以来の経済大国化を達成しかかったあるて観られるんやけども、その止めを刺すんは今のところ三峡ダムの可能性が高いな。数多の無辜の民が巻き込まれるんは日本人のわしにも痛恨の極みやけれども、天の怒りは激越やぞ。

 

前回も書いた通り、中国大陸核心部の中原平野はそのほぼ全域で水害の危機に見舞われとるんで、今更人民を安全な場所に避難させようにも避難さす場所があらへん。この国は水害に弱いけども、もっと治山・治水に力を入れとったら結果はちごたかもしれんのだが、今となっては「時既にお寿司(カッパえんちょー調)」である。中国人は四千余年の治乱興亡の歴史の弊害もあってか目先の利益にばっか目ェが行って、国家百年の計である治山・治水なんぞに全然興味を示さん。せやさかいわしはこの国に対して「夏王朝からやり直せ」「北京原人からやり直して絶滅してまえ」の罵詈雑言を飛ばすんである。(つづく)