E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

(東須磨小学校教師暴行強要器物損壊事件)もう先生は要らない

 このほど、神戸市立東須磨小学校(仁王美貴校長)で、エエ歳こいた教師4人が20代の若い教師に対し、激辛カレーをムリから食わせ、それを目ェに擦り付けたり、若い教師の車の天井に上ったり、ジュースを車内にわざとこぼしたり、剰え他の女性教諭にセクハラメールを送るように強要しとったことがバレ、えらい騒ぎになったある。こいつら小学生以下やな。

 

 これを「いじめ」などと報道さらすオールドメディアには呆れる他ない。こんなん立派な刑事事件やんけ。被害者は刑事告訴を検討してるちゅうが、それは当然やろう。それにや、神戸市教育委員会も情けない。このアホ教師連中を謹慎処分にせんと年次有給休暇取らしとるねんやんけ。税金のムダ遣いもエエ加減にせえドアホ。

 

 ただの、この事件発生の遠因は、わしも「速報・中共崩壊への道」の連載の中でも繰り返し書いたように、「政治家が悪いんは国民があかんからや。政治家は国民の姿を映す鏡や」と同様や思う。国民の平均的なモラルが低下したあるのに、学校の先生にだけモラルを求めるんはないものねだりやろうちゅうこっちゃんけ。

 

 わしのネタ本の一冊である百目鬼恭三郎「新聞を疑え」は35年以上前に発刊されたかなり古い本やけれども、現代の政治・社会の問題を考えるに当たっても未だに有用な情報を満載しており、全然古ならへん本や。この本所収の「たった一人の世論」の「人間になった警官」が、上記の問題を分かりやすうに解説したある。

 

 当時も今と変わらず警官の不祥事があまりに多く、百目鬼が1年でそれがどんだけあったかを調べようとしたが、その数の多さと犯行の稚拙さに「イヤになって調べるのをやめてしまった」そうや。数の多さもせやけども、その手口が「あきれるほど単純かつ幼稚で」とてもサツカンがやらかしたとは思えぬ人間くさいモンばっかやったそうや。

 

 例えば、元警視庁捜査二課に8年も務めとった取立て屋が、「被害者から借金を回収するために、五千万円の生命保険をかけて殺す」なんて稚拙な犯行は、結城昌治の悪徳警官物に出て来る「狡智にたけ」た犯人とは比較にならんとし、これは警官とは違うが、「熊本の酔っぱらい判事にしても、新聞に載った彼の談話は、これが裁判官かとおどろくほど人間的であった。『私は、酒豪で二升ぐらいは飲めるので、酒を飲んだからといって誤った判断を下したりしたことは一度もない』とひらき直ったかと思うと、『もう判事はいやになった。場合によっては辞表を出すことも考えている』と弱音を吐いているところが、一人の弱い人間性を露呈し」とるちゅう具合に、これが業務に人間性を差し挟むことを控えるべき職にある奴の吐かすことかと、呆れるしかあれへんわな。

 

 百目鬼はこれを「私が思うに、裁判官、警官といった彼らの公的生活と、一個の人間としての私生活との乖離が大きくなってきたせいではあるまいか」としているが、まずそれで間違いあれへんやろう。一般市民の平均的なモラルが低下したあるのに、何でわしら警官だけが昔のままでおらなあかんねんちゅうこっちゃな。これに対して一般市民が、何を勝手な、と吐かすのも見当違いで、このブログに何度も書いたように、田中角栄を政治家にしたんは角さんを支持した有権者に他ならんのや。その有権者が腐敗しとったから角さんも腐敗してしもてんやんけ。

 

 「社会全体が無道徳化しているわけだから、彼らはその流れに逆らわなければならないわけで、この逆行の精神的な負担は、警察庁長官とか最高裁長官の一片の訓示によって軽減されるはずもない」ちゅうこっちゃ。ましてや今の日本は民主主義国家で、公務員の任免については国民が責任を持つ建前なっとんねんさかい、教師の4人や5人が犯罪者になったとしても、それは国民がケツを持つべきこっちゃ。「社会のほうも、自分たちは勝手に無軌道(引用者註:無規範の誤植か)になりながら、安寧、秩序は従来通りに保つように司法当局者に押しつける、というのでは虫がよすぎ」なんじゃいアホ。

 

 しかしながら百目鬼は、「もし社会が、従来通りの安寧、秩序を維持したいと思うなら、道徳の回復をはかるほかはない。が、それは狂瀾を既倒にめぐらすようなものだろう」と、サジを投げてしもたある。80年前後でもこのテイタラクやから、現今の乖離の度合いはもっとえげつななったあるやろう。わしらは一体どないすればエエんや?

 

 そんでのうても、学校ちゅうとこは外部の目ェが届きにくいさかい、余計腐敗が進行しやすい。昔日の帝国陸海軍の腐敗や、今日のブラック企業内における経営者の横暴かて、それと一緒の構図や。せやさかい、学校には保護者を常時出入りさして巡回監視さす以外にあれへんやろう。保護者の目ェを光らかさんと、このテの腐敗は防げんと思う。

 

 それに、まず日本の学校の教科書があかん。欧米先進国の教科書は、それを読んだだけで学習すべき内容が平均的な学力のある児童・生徒が理解でけるように書いたあるそうやないか。そないすれば教師はそれでも分からん子だけを相手に授業すればエエ訳やし、でける子はドンドン先へ進めさせれるし、色んな意味での教育コストが軽減でけるようになる。同じ学年でも、学習内容の程度を変えれるようにすれば、10代のドクターも生まれるやろうな。

 

 わしの親父は若い頃「学校の教師なんか二流の人間がなるモンだからな」ちゅうとったが、80年代中頃には「三流」に訂正しとったな。教師が犯罪をやらかす学校で、子供の犯罪である「いじめ」は絶対のうならん。もう学校には先生など要らん。